島根県・松江工高の赤れんが兵舎取り壊し |
松江工高の赤れんが兵舎取り壊し
山陰中央新報:07/09/27
取り壊されことになった松江工業高の赤れんが造りの兵舎。現在は高校のクラブ活動の場として利用される
松江市古志原四丁目の県立松江工業高に残る赤れんが造りの旧日本軍兵舎が、校舎建て替えに伴い取り壊されることになった。「島根県の近代化遺産」にも紹介された戦時中の面影を伝える遺産の解体に、関係者から名残惜しむ声が出ている。
同校一帯は、一九〇七年の歩兵第六十三連隊の設置に合わせ、十数棟の練兵場や兵器庫、本部の建物が建設されていた。終戦後に、役目を終えた兵舎地に同校が移転。建物は校舎や体育館などに利用されてきた。
校舎の建て替えが進んだことで兵舎は次々と取り壊され、戦時中は雨天時の訓練施設で、現在は空手部や卓球部、フェンシング部のクラブ活動の場に利用されている赤れんがが、唯一の現存する兵舎になっていた。
来年で築百年を迎え、国の近代化に貢献した構築物として、県が二〇〇二年にまとめた「島根県の近代化遺産」にも紹介されるが、建物の至る所が老朽化。屋根や床、窓などを幾たびも修繕してきたが、限界を迎えた。
建物を残すには大規模改修が必要で、費用は概算で四千万円以上。負担に加えて、近代化遺産は所有者側の意向で取り壊せることもあり、県教委は残すのは難しいと判断、〇九年春の取り壊しと新校舎の建設を決めた。
「兵舎で銃剣術の訓練をしたのを覚えている」と当時を懐かしがるのは、同連隊に所属した松江市古志原二丁目の門脇勇さん(88)。同校の浜田清行教頭も、以前あった兵舎の赤れんがは同校の舗装材に使っていることから「一部を何らかの形で残せたら」と思案する。
兵舎だったことは、今の生徒たちにはあまり知られていない。初めて由来を知った同校二年の男子生徒(17)は「建て替えは仕方ないが、名残惜しい気がする」とあらためて兵舎だった建物を見つめる。
「近代化遺産」として、歴史的建造物から漏れる建造物を保存する動きはつとにあるのですが、琵琶湖疎水のような超メジャー級の物を除いて、歴史性の認識よりも公共インフラの性格のほうが強く、保存・活用がうまくいっていないことがあるようです。この建物の場合も、記事中にあるように「兵舎だったことは、今の生徒たちにはあまり知られていない」わけで、歴史教育の必要を感じます。
しかしまあ、100年もの歴史を持った建物で普通に部活をしている学生たち、というのも考えようによっては非常に幸せだったのかもしれません。きっと「部室裏には兵士の亡霊が出るらしい」とか都市伝説のレベルで歴史の共有があるわけですから。ごく普通に歴史的建造物を使うことが一番幸せなことだと考えています。
建造物も人でも猫でも杓子でもそうですが、無くなってしまえばそれでおしまい。後世に伝える術はありません。物事にまつわる歴史を遺すため、人であればお葬式をしてお墓に入れます。松江工業高校の関係者も苦渋の決断をされたことでしょうから、取り壊しにあたり何らかの形で後世に遺す工夫をして頂きたいと願ってやみません。