講談社所有の野間道場、解体へ |
『野間道場』が解体へ 剣道愛好家の聖地
東京新聞:2007年11月2日
桐生市出身で講談社創業者の野間清治氏(一八七八−一九三八年)が創建した「野間道場」(東京都文京区)が老朽化のため、早ければ今月中旬に取り壊される見通しとなった。「剣道の聖地」といわれて解体を惜しむ声も少なくなく、同市内への移築など保存を模索してきた野間清治顕彰会の大西康之会長は「野間清治本人をお迎えするつもりで取り組んできたので、大変残念です」と話している。 (加藤益丈)
野間道場は一九二五(大正十四)年、社員教育の場として講談社の敷地内に建てられた。一般にも公開され、戦前では珍しく流派を超えて誰でも受け入れた。前橋市出身で「昭和の剣聖」とされる持田盛二範士を師範に招いたこともあり、剣道愛好家からは「聖地」として慕われてきた。
取り壊しの計画が持ち上がったのは昨年。同社の社有地再開発の一環で、新築ビルに新道場を建設することが決まった。
その後、保存を望む声が上がり、桐生市議会は今年九月、市内への移築を求めた野間清治顕彰会の陳情を趣旨採択。また、一部の建築家が文化的価値に注目。日本建築家協会関東甲信越支部は十月中旬、講談社や同市に「木造、独立の剣道場としては規模の面から見ても希少な存在」「貴重な建築物」と、保存を求める要望書を提出した。
講談社側も着工時期を遅らせるなど一定の配慮を示してきた。しかし、移築など保存にかかる多額の費用がネックとなったという。桐生市も移築先の土地の確保で協力できないか検討してきただけに、亀山豊文市長は「残念だ」と話している。
講談社は「最大限タイムリミットを延ばしてきた。惜しんでくれる声は大切にしたい。工事を丁寧に行い、門の一部や床材などを保管し、申し込みがあれば提供したい」と話している。
野間道場のサイトも貼っておきます。写真や略年譜などもあります。私も剣道をしていましたので野間道場の名前は知っていますが、その価値は一企業の意向だけで決められるものではありません。なお、これの前に重要文化財級の建造物だった講談社別館(旧三井高陽邸)の取り壊しも同様に反対を押し切って行われています。講談社からすれば自社の資産というだけなのでしょうが、とすれば、そのような文化的価値を知らない企業と見なさなければなりません。出版社として、それは正しい選択なのでしょうか。保存活動のサイトとJIAのコメントもリンクしておきます。