1921年から68年まで存在していた「仙北鉄道」の現存する唯一の駅舎が老朽化のため取り壊されるそうです。仙北鉄道についてはウィキペディアもご参照下さい
(wikipedia)。このブログでも駅舎関係のニュースを扱うことがよくありますが、いずれも地域の「顔」として親しまれてきた様子がうかがえ、残念でなりません。
解体が決まった仙北鉄道の旧登米駅舎とホーム跡
仙北鉄道、消えゆく遺産 旧登米駅舎17日から解体
河北新報:2007年12月14日金曜日
大正から昭和中期にかけて登米・栗原地域の足となった軽便鉄道「仙北鉄道」で、唯一原形をとどめて残っていた旧登米駅舎(宮城県登米市登米町)が、老朽化のため解体されることになった。約90年の時を刻んだ駅舎との別れに、関係者は「まちの風景の一つが消えてしまう」と名残を惜しんでいる。
所有・管理するミヤコーバスの佐沼営業所や仙北鉄道社史などによると、木造平屋の駅舎は仙北鉄道が開業した1921年の建築。起終点のため、待合室と事務室に加えて乗務員宿泊室も備えた規模が大きい駅舎で、5、6人が勤務していた。
68年の廃線以降、宮城交通の営業所、バス待合室などとして使われてきた。雨漏りがひどくなり、数年前には天然スレートぶきをトタン屋根にふき替えたが、これ以上の維持は困難と判断された。
登米駅で列車の運行を管理する「運転掛(がかり)」として廃線を迎えた仙北鉄道友の会の佐藤政孝さん(70)=登米市登米町=は「時代の流れでやむを得ないとは思うが、思い出が写真だけになってしまうのは寂しい限りだ」と話す。
仙北鉄道は、国鉄(現JR)東北線と登米・栗原地域の連絡輸送を目的に、瀬峰—登米間の登米線(28.6キロ)が21年、瀬峰—築館間の築館線(12.5キロ)が23年に開業した。
レール幅が国鉄在来線より狭い「軽便鉄道」として「けいべんこ」の愛称で親しまれたが、アイオン台風(48年)被害や自動車交通の発達で経営悪化、築館線は49年、登米線は68年に廃線となった。
駅舎の記録を残そうと、市歴史博物館などが実測図を作製中。作業に携わる東北歴史博物館(多賀城市)の関口重樹技師(37)=建築史=は「建築当時の姿を残す駅舎としては県内で最も古い部類で史料としても貴重。みやぎの明治村とうたわれる、登米町ならではの歴史ある建物がなくなるのは惜しい」と話している。
解体作業は17日に始まる予定。跡地利用は決まっていない。