北朝鮮拉致被害者の一人、市川修一さんの実家「スーパー市川」が閉店、解体されたそうです。MBC南日本放送からのキャプチャーがyoutube上にあり、当事者へのインタビューが見られます
(071212 待ち続けて29年「スーパー市川」閉店)。ご家族の終始、残念そうな表情が深く印象に残ります。
解体前、スーパー前に立つ市川さん(11月15日)
市川さん実家のスーパー閉店解体、跡地に自宅建設へ
(2007年12月14日 読売新聞)
日置市の吹上浜で1978年、北朝鮮に拉致された市川修一さん(当時23歳)の両親らが営む鹿屋市輝北町の「スーパー市川」が閉店し、店舗の解体工事が始まった。兄の健一さん(62)は「弟が帰ってくるまで残したい気持ちもあったが、仕方がない」と13日朝、家族の思い出が詰まった店舗が崩される様子をじっと見つめていた。
店は54年、父・平さん(92)が「市川商店」として衣料品や食料品などの販売を開始。78年7月、改装し「スーパー市川」として新装オープンした。開店セールには、鹿児島市で電電公社(現・NTT)の職員だった修一さんも手伝いに駆けつけた。だが、それから約2週間後の8月12日、修一さんは交際していた増元るみ子さん(当時24歳)と一緒に北朝鮮に拉致された。
健一さんが経営に携わってきたが、家族会の活動で留守にする時は、母トミさん(90)が店番をした。しかし、足腰が弱くなり、長時間にわたる仕事がきつくなった。平さんも数年前から足を悪くしており、店が国道拡幅計画の対象になったのを機に閉店を決意。12日から取り壊し工事が始まった。
「あれから29年。両親も私も年を取った。大型スーパーも増え客も少なくなった。そろそろ潮時かなと思った」と健一さんは話す。
跡地には自宅を移転新築する予定で、修一さんの部屋もつくる。トミさんは「早く修一と一緒に暮らせる日が来ることだけを願っています」と涙を浮かべ、健一さんは「これからは活動に専念できる。一日も早く弟ら拉致被害者全員を日本に連れ戻せるよう頑張りたい」と決意を新たにしていた。