先日お伝えした鈴木真砂女の小料理屋「卯波」の取り壊しですが、同じ一角にあった稲荷神社が近隣のビルに移転するとのこと。産経ニュースが伝えています。卯波店主のコメントもあり、真砂女をはじめ地元の方に愛されてきた様子が伝わります。
護り護られ銀座の「幸稲荷」 ビルに移転、12日最後の初午
MSN産経ニュース:2008.2.10
江戸時代から住民の信仰を集めてきた小さなお稲荷(いなり)さんが、再開発に伴い東京・銀座の目抜き通りから立ち退く。一時は取り壊しも取りざたされたが、住民の熱意が実り、新たにできるビルの一角に移転できる見込みだ。12日には毎年恒例の初午の神事が行われる予定で、地元自治会は「この場所では最後の初午。ぜひお参りに来てほしい」と呼びかけている。
移転されることになったのは、中央区銀座1丁目の並木通り沿いにある「幸(さいわい)稲荷神社」。周辺には俳人、鈴木真砂女(明治39〜平成15年)が始めた小料理屋「卯波」や鰻屋などが軒を連ねていたが、再開発のためいずれも1月末までに店を閉めた。
稲荷の詳しい由来はわからないが、真砂女の自伝「銀座に生きる」(角川文庫)には、「江戸時代からあり、昔太刀の市がたったとかで太刀売稲荷と呼ばれていたそうだ」「銀座1丁目の護り神で、初午のときは、その店相応の寄付をする」などと紹介されている。
毎年2月の初午の日には、日枝神社(東京都千代田区)から神主を呼んで神事が行われるほか、銀座の秋のイベント「プロムナード銀座」では「神社めぐりスタンプラリー」のスポットとして人気を集める。「幸」という名称から恋がかなうという説もあり、若い女性が手を合わせることも多いという。
真砂女の孫で卯波元店主の今田宗男さん(47)は「真砂女は毎日、手を合わせて拝んでいた。でも自分は、子供のころから、必ずお願いをかなえてくれると教えられていたので、逆にめったに頼めなくなった。大学受験の時もお願いしなかったくらい」と笑う。
向かいにある「梅乃寿司」店主、矢島正之さん(61)は、「一昨年の秋に再開発の話を聞いた。幸稲荷は宗教法人ではないので、土地の所有者のものということになる。そこで、新しい地主さんに保存を求めていこうという話になった」と振り返る。
地主も交えた自治会の十数回にわたる話し合いでは、新しく建てられるビルの屋上に移す計画も出た。しかし、「誰もが拝める場所に」という住民の希望が受け入れられ、ビルの敷地の一角に移されることがほぼ決まった。
「こんな目立つところにある稲荷は銀座では珍しい。商売繁盛の御利益があるらしく、近所の人も行き帰りにお参りしている」と矢島さん。「無事に移転できることを祈っているが、規模は今より小さくなるだろう。それに、完成までの2〜3年は初午ができなくなる」として、この場所で行われる最後の初午に向けた準備を進めている。