明治建築研究会さんにコメントを頂き、
当ブログでも取り上げさせて頂いたダイセル堺工場(旧堺セルロイド会社)について、毎日新聞が取り上げています。明治建築研究会の柴田代表のコメントも引用されています。記事中でも行政が保存に積極的でない旨も書かれてありますが、道路移転による取り壊しということで、行政の理解が必要不可欠です。なんとか地域住民の声を掬い上げて欲しいと思います。
明治~大正期のれんが建築群、解体・撤去の危機
毎日新聞 2008年2月19日
◇高速道建設で工場移転--市民グループが保存活動
堺市の工場にある明治から大正期のれんが建築群が、解体・撤去の危機にひんしている。阪神高速大和川線(堺市-松原市間、約10キロ)建設に伴って工場が移転したためで、約10棟のうち9棟が今秋までに解体される。明治期にいち早く工業都市となった堺だが、戦災や再開発のため、当時をしのばせる産業遺産は希少で、市民グループが保存活動を展開している。
工場は「ダイセル化学工業大阪製造所堺工場」(堺区鉄砲町)。日本のセルロイド製造の先駆けとなる、堺セルロイドが1908(明治41)年創業。れんが建築群は当時の建物で、10年ごろから大正期にかけて順次建築されたとみられる。米国人技師の基本設計をもとに、建築家の茂庄五郎が設計した。
大和川南岸で、周辺にはかつて織物工場などのれんが建築が並んでいたが、現在は団地などに変わっている。
保存を呼びかけている住民グループ「環濠(かんごう)都市・堺 歴史文化クラブ」(世話人・志賀和子さん)は今月13日、保存について行政の積極姿勢を求める陳情書を堺市議会に提出。これまでも市に保存を働きかけてきたが、市は「民間の所有物で関与できない」との立場を変えていない。
陳情書は「何かと言えば『ものづくり』や『産業振興』を唱える堺市が『ものづくり』の歴史や文化に対して本質的に無関心だ」と指摘。志賀さんは「地元には『昔のままの風景を残して』という声が多い。こうした声が少しでも表に出るようにしたい」と話す。
今月、現地見学会や講演会を開き、活動の輪を広げるよう努めている。講演会では、約40年前から建造物の研究・保存活動を続けてきた「明治建築研究会」の柴田正己代表が講師を務めた。柴田さんは、旧天王貯水池(堺区)をはじめ、国内外で保存活動が成功した例、失敗した例をスライドで解説。「地元住民が『残そう』という気になれば残る。一部だけの保存運動は成功しない」と訴え、「日本では文化財でなければ価値がないという風潮があるが、価値のある建物でも所有者の同意が得られず、文化財登録されていないものもある」と指摘。参加した地元の男性(40)は「(ダイセルの建築群は)私にとって古里の原風景。よい形で残ってほしい。きれいなばかりの町では面白みがない」と語った。
歴史文化クラブは、今月末まで保存要望の署名集めをしている。問い合わせは事務局(072・228・0953)。