神岡鉱山跡に建設されたカミオカンデを縁に、ノーベル賞学者の小柴昌俊さんらと親交のあった神岡町の片山家が解体されるそうです。読売新聞が伝えています。片山家は神岡鉱山を開き、その家屋はおよそ300年の歴史をもつとのこと。
ノーベル賞学者も集った旧片山家解体へ
読売新聞:2008.09.20
神岡鉱山勤務通し小柴さんらと親交
ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さん(81)や、東京大学・神岡宇宙素粒子研究施設の研究者と長く交流している飛騨市古川町の元神岡鉱業社員、片山一郎さん(76)の旧宅(同市神岡町)が取り壊されることになった。日本を代表する多くの研究者と酒を酌み交わした思い出の家だが、豪雪地帯で管理が難しいため、解体が決まった。
片山さんによると、先祖は江戸時代の約300年前から神岡鉱山で銀などを採掘した山師。1887年に三井物産(その後三井金属鉱業)に採掘権を譲り渡すまで採掘を続けたという。屋号は「片掛(かたかけ)屋」で、「片掛銀山」の頭と最後の字を取って姓にしたとされる。
旧宅は木造一部2階建て約210平方メートル。専門家の調査などで銀山師関係の家屋とされ、家が長持ちするよう祈念した1797年の棟札が見つかっている。この約80年前に建築され、建物は約300年の歴史を刻んだとされている。
片山さんは神岡鉱山に36年間勤務していたことを縁に、同研究所の初代施設長となった小柴さんと懇意になった。1983年に神岡鉱山跡に観測施設「カミオカンデ」が建設されるにあたり、鉱山関係の法律問題や坑道内の強度について相談を受け、助言したこともあった。
さらに、小柴さんの弟子で施設長を務めた後、今年7月に66歳で亡くなった戸塚洋二・東大特別栄誉教授らとも同じ時期に顔見知りとなり、同施設のグレードを高めた「スーパーカミオカンデ」の建設を通して、親交は一層深まった。
1997年11月、小柴さんが文化勲章の受章直前に、片山さんは小柴さんを招いて祝賀会を催した。その後も、小柴さんや戸塚さんが訪れるたびにもてなした。戸塚さんを地下に観測装置のある池ノ山に案内したこともある。
片山さんと妻の寿紀子さん(68)は昨年暮れ、飛騨市古川町に新築した家に移り住んだ。2人は取り壊しについて「思い出が詰まった家だが、屋根に積もる雪の処理だけでも大変。思い切って処分することにした」と話す。家に使われていた材木などの一部は、富山市の解体業者に再利用されるという。