現在は廃墟となっているものの、
DOCOMOMO Japan選定建物に加わった検見川送信所について、行政側も取り壊しの方針を改め、保存へ向けた動きが見えてきました。最新の情報はこの保存運動を推進してきた
「検見川送信所を知る会」のホームページをご参照下さい。
検見川送信所「文化遺産に」
読売新聞:2008.08.24
日本初の国際放送
昭和初期に日本初の国際放送を行い、今は廃虚となっている「検見川送信所」(千葉市花見川区)の建築的価値を見直そうという動きが、市民や建築家の間に広がっている。学校用地として取り壊す方針だった千葉市も、計画撤回に向けた検討を始めた。
送信所は、旧逓信省が1926年に開設した。鉄筋コンクリート造りの2階建てで、丸みを帯びた外観やアーチ窓が特徴だ。設計は、東京中央郵便局などを手がけた逓信省技師の吉田鉄郎氏が担当。昭和戦争末期に2度の大空襲を経験した千葉市に残る、数少ない大正期の建築物だ。
日本初の国際放送が発信されたのは30年10月。ロンドン海軍軍縮条約の締結を記念した浜口雄幸首相(当時)の平和演説を、米英向けに短波で届けた。無線写真や無線電話の実験など、その後も大きな役割を果たしたが、通信衛星技術の発達で79年に役割を終えた。
NTTから資産譲渡を受けた千葉市は、86年に中学校用地とする区画整理事業を決定。ところが、少子化や厳しい市の財政事情から計画は進まず、「現在の生徒数の将来推計では、中学校建設の必要性は薄くなったのも事実」(市教委)と、見直す意向を示している。同じ事業地内にあった小学校用地は今年3月、宅地に計画変更された。
放置され劣化が進む送信所の現状を見かねた市民有志は昨年秋、「検見川送信所を知る会」を結成。代表で山梨英和短大名誉教授(通信制度論)の仲佐秀雄さん(78)=千葉市花見川区在住=は「日本の電気通信の発達を語る上で一級の施設。近代産業の遺産として残す意義は大きい」と語る。
建築家からも保存を求める声は強まっている。近代建築の保存を提言する建築家の国際組織「DOCOMOMO」の日本支部は今年6月、送信所を「選定建築物」の一つに選んだ。さらに、日本建築家協会関東甲信越支部などは7月下旬、「かけがえのない価値を有している」と市に文化財指定を要望した。
「知る会」は、送信所の価値を広く伝えようと、「検見川送信所、文化遺産宣言」とするイベントを30日午後3時から検見川公民館で予定。元送信所職員による講演やシンポジウム、現地見学会などが行われる。入場無料。問い合わせは仲佐さん(043・276・0444)へ。