陸上自衛隊土浦駐屯地本部庁舎の取り壊しが伝えられています。1940年に建造され、軍艦をイメージした鉄筋造の3階建てです。
山本五十六元帥ゆかりの駐屯地本部庁舎 近く取り壊し
MSN産経ニュース:2008.05.05
山本五十六元帥ゆかりの茨城県にある陸上自衛隊土浦駐屯地本部庁舎が近く、取り壊される見通しとなった。
本部庁舎は、石張りの床、高い天井など旧海軍が戦艦をイメージして建築した重厚な建物だが、戦後60年以上がすぎ、老朽化が進んでいる。山本五十六は大正13年に霞ケ浦海軍航空隊副長として着任。当時、旧海軍では大艦巨砲主義が主流で航空機は補助的兵器にすぎなかったが、彼は航空機を兵器として高く評価、搭乗員養成と航空機産業充実発展に努力し、海上戦闘の在り方を大きく転換させた。
海軍飛行予科練習部(通称「予科練」)も、そうした搭乗員養成のひとつ。第一次世界大戦後、優秀な若者に早くから操縦技術を習得させ、熟練した搭乗員を多く育てるため少年航空兵の養成機関として誕生。昭和14年、神奈川県横須賀市から茨城県の霞ケ浦湖畔に移転。15年に「土浦海軍航空隊」として独立。これが現在の陸上自衛隊土浦駐屯地になっている。
終戦までの卒業生は約2万4000人、そのうち約1万9000人が「特別攻撃隊」などにより戦死した。そうした予科練ゆかりの施設は、陸上自衛隊土浦駐屯地をはじめ霞ケ浦湖畔一帯には残されていたが、戦後、旧軍に対する否定的な見方もあって姿を消していった。
陸上自衛隊土浦駐屯地は、今も本部庁舎(旧土浦海軍航空隊司令部庁舎)、宿泊施設(旧海軍士官宿舎)などが使用されてきたが、本部庁舎が来年にも取り壊されることになった。こうした動きに地元・阿見町では「老朽化、耐震強度不足により歴史的な遺産が無くなるのは残念だ」と惜しむ声が出ている。
阿見町では、平和の大切さを理解するための「予科練記念館(仮称)」を駐屯地に隣接する地に建設する予定。関係者は取り壊される建物の一部でも保存しようとしているが「記念館の建設は平成20年秋から始まり、(陸上自衛隊の)本部庁舎の取り壊しは、21年3月ごろから開始され、(本部庁舎は)取り壊し直前まで使用されているので(施設の一部を取り込むことは)、現実的には難しい」とされ、保存運動は難航しそうだ。(山本慎一)
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山本五十六(明治17〜昭和18年)元帥・海軍大将。太平洋戦争開始時の連合艦隊司令長官。昭和18年にソロモン諸島ブーゲンビル島上空で搭乗機を米軍に撃墜されて戦死。