越生町の「越生絹織物会館」の取り壊しが伝えられています。
朝日新聞(2006年1月20日)の記事では町に残るただ一つの洋風建築であり「建築当初のかたちが90%以上残り、構造材にも大きな損傷は見られない。今後の使用に十分耐えられる」とされ、保存活用の模索も行われていたそうです。
越生絹織物会館:往時伝える建築物 取り壊し作業進む
毎日新聞 2008年5月24日
◇市民グループ、保存運動間に合わず
大正から昭和初期にかけ、絹産業で栄えた越生町の往時を伝えてきた建築物「越生絹織物会館」(同町越生)の取り壊し作業が進んでいる。市民グループ「越生織物会館の会」が保存を検討していたが断念。金子和宏代表(61)は「越生の象徴のような建物だっただけに悔しい」と残念がっている。
同会によると、この会館は「越生絹織物商工業組合」(金子猛雄理事長)が1930(昭和5)年に建設した。木造2階建てで、随所にモダンな意匠がこらされるなど、当時の繁栄ぶりがうかがわれる。1階は事務所に使われた。2階には大広間が設けられ、結婚式など町の社交場として愛された。
しかし、絹産業の衰退とともに、手入れも行き届かなくなり、ここ数年は老朽化が進行していた。組合は大規模な補修も検討したが、1億円以上かかるために挫折。町に買い取りと保存を要請したが財政難を理由に断られたため、同組合が取り壊しを決めた。
町の文化財保護委員でこの会館の隣家で生まれ育った金子代表が、先月末に会館の会を作って、建物を移動させる曳家(ひきや)による保存を検討したが、建築基準法による確認申請に時間がかかり、組合側の跡地利用計画に間に合わないため、断念した。取り壊し作業は今月末まで行われる。
今月1~11日に一般公開すると、約1000人が訪れた。同会は専門家による実測調査や、プロのカメラマンによる資料撮影も実施した。金子代表は「この歴史をどう伝えていくか考えたい」と話している。【岸本悠】