朝日新聞で香港における街並み保存運動の模様が取り上げられています。「集体回憶(社会共通の記憶)」というスローガンや「街のあり方を、政府の言いなりでなく市民が議論するようになった」といったキーワードは日本の状況にも通じるものだと思います。全ての土地が国有地である香港では開発主体が限られるため「住民vs再開発」という体制を作りやすいということも、反対運動をまとめやすくする要因のひとつと言えるでしょうが、開発を続けることによって成り立ってきた都市に対して、保全を優先しようという市民の運動が高まり行政も無視できないほどに育ったという、いかにも都市的な現象は東京のような大都市でも通用するモデルケースになりうると思います。
古き良き香港守れ 記憶の遺産 開発と保存(4)
asahi.com:2007年12月18日
超高層ビルが立ち並ぶ香港屈指の繁華街、中環(セントラル)。大通りから山手に伸びる嘉咸(かかん)街の狭い坂道に果物、鮮魚、乾物などの露店が並ぶ。1842年に香港が英国に割譲されたころに生まれた街市(市場)だ。その歴史と雑然とした雰囲気から、香港を象徴する場所として映画や絵画の舞台になってきた。
この街市を含む約5300平方メートルの区域で、政府の再開発計画が進んでいる。38億香港ドル(約560億円)を投じて37棟の建物を壊し、商業ビルやマンションを建てる構想だ。
11月初旬の週末。若者たちがゲリラ的にファッションショーを開いて、買い物客や観光客の足を止めた。服の素材はバナナの葉や果物を包むビニールなど、街市の露店から出る廃材ばかり。古びたものの味わいを見直してほしいとのメッセージを込めつつ、「この街市は香港の財産。守り抜こう」と声を上げた。
企画したのは付近の住民や学生、大学教員ら。街市のミニツアーなどのイベントを毎週のように開いて、計画中止を訴えている。
香港では今、こうした街並み保存運動が広がっている。人々を結ぶのは「集体回憶(社会共通の記憶)」というスローガン。香港人の記憶のよすがとなる自然や文化財を残したいとの思いをこめた言葉だ。
「ピカピカの高層ビルが次々と建ち、どこも同じような景色になる。大好きな街の雰囲気が失われるのはもうたくさんです」
嘉咸街の保存運動に加わる主婦、羅雅寧さん(40)は、3歳からこの地区に住む。街並み保存に取り組み始めたのは2年前。「近代中国の父」孫文とゆかりの官立学校「皇仁書院」の跡地を政府が売り出し、高層マンションにする計画が持ち上がったときだ。
羅さんは友人4人と政府に保存を訴えたが、担当者は「35億香港ドル(約500億円)を生むプロジェクト。跡地に何の価値があるのか」と冷淡だった。
あきらめかけていた昨年12月、事件は起きた。
香港島と九竜半島を結ぶ香港名物の連絡船「スターフェリー」の中環埠頭(ふとう)を、200人以上の市民が埋めたのだ。湾岸道路を作るため、約半世紀、市民に親しまれた埠頭が取り壊されることへの抗議だった。警察隊ともみ合う学生らを振り切り、政府は工事に着手。埠頭のシンボルだった時計台は消えたが、連日メディアで大きく取り上げられた。この運動から「集体回憶」という言葉が生まれ、社会に広まった。
勇気づけられた羅さんらも街に出て、1700人の署名を集めて埋蔵文化財の調査を要求。調査で皇仁書院の基礎部分が出土し、政府は再開発計画を棚上げにした。
■市民次々決起、政府動かす
「中環埠頭から、社会の空気が変わった。経済効果よりも、暮らしの質を求める市民の声が力を持ち始めた」と羅さんは話す。これを機に、各地で再開発計画への反対運動がわき起こった。
8月にウェブサイト「香港誌」を立ち上げた葉一知さん(33)も、中環埠頭の熱気に刺激を受けた一人だ。自分で香港の古い建物や民芸品を調べて紹介する。「中国返還で、香港らしさとは何か、香港が誇れるものは何か、と考える人が増えた。再開発への反発は、香港らしさを守れと言う市民の思いだ」と話す。
東京都の約半分の面積しかない香港は、英国植民地時代から、再開発を繰り返すことで経済価値を高めてきた。土地はすべて政府が所有。「自由放任主義」を掲げて税率を低く抑える政府にとって、造成・再開発した土地の使用権を業者に売る「地価収入」は財政の大きな柱だ。06年度の地価収入は、政府収入の13%を占める。再開発を請け負う不動産業者のもうけもばくだいだ。
香港バプティスト大学の●樹雄客員教授(公共財政学)は「再開発が経済を活性化し、暮らしを良くするという政府の説明に、住民は反対する理由も手段も持たなかった」。最近の開発反対運動の広がりを「土地を経済価値でのみ測ろうとする政府の考え方と、急速に変化した市民の価値観の衝突だ」とみる。(※●は登におおざと)
世論に押された政府は7月、公共事業の関連部門を統括する発展局を設置。すべての公共工事で、設計段階から住民らの意見を求めることにした。林鄭月娥局長は「市民の声を無視すれば、かえって時間とコストがかかることを政府は学んだ。民間との情報交換を進めて様々な意見や利益の均衡を探りたい」と話す。
嘉咸街の再開発では住民や露天商の代表、区議らでつくる諮問委員会を設けた。反対派は政府に従順な委員だけを選んでいると批判するが、中高年の住民の間では「街がきれいになるのは結構。補償の条件さえ折り合えば再開発は歓迎だ」(60代の自営業者)との声も根強い。
いかに住民の声をすくい上げ、街並みの価値を評価するか。羅さんは「街のあり方を、政府の言いなりでなく市民が議論するようになったことが重要。長い戦いが始まったばかりです」と話す。(香港=林望)
〈反対運動がある主な再開発計画〉
※括弧内の数字は地図中の丸数字に対応
(1)嘉咸街
(2)スターフェリー中環埠頭
(3)皇后埠頭(クイーンズピア)
植民地時代、英国の王室や総督が訪港する際に使った埠頭。湾岸道路などの建設のため、今年7月に閉鎖。
(4)中区警察署
19世紀建設の庁舎の周囲に約50階建ての高さのビルや劇場などを建設予定だが、市民団体が反発。
(5)湾仔(ワンチャイ)街市
70年の歴史を持つ市場。再開発に向け、立ち退きを求められた小売業者らが反発し、保存を含めて再検討。
(6)衙前囲(がせんい)村
香港割譲以前から住む先住民の住宅群。業者によるマンション建設計画に市民団体が反対、政府は推進を支持。
(7)大澳(タイオ)
「香港のベネチア」と呼ばれる漁村。政府による観光開発に市民団体が反対。住民の意見集約を進めている。