風船爆弾の開発などを行っていたとされる旧陸軍登戸研究所が二年間の暫定保存をされることになったそうです。明治大学生田校舎の敷地の一部として取り壊しが検討されていた物です。市民グループはこの間に今後の活用を訴えたいとしています。賛同される方は
旧陸軍登戸研究所の保存を求める川崎市民の会のホームページから署名・賛同・カンパなどをすることができます。
旧陸軍登戸研究所一部/少なくとも2年の暫定保存
神奈川新聞:2008.08.03
明治大学生田校舎(川崎市多摩区)内に残る旧陸軍登戸研究所の施設三棟のうち、取り壊しが取りざたされてきた木造施設二棟が、少なくとも今後二年間は暫定保存される見通しとなった。老朽化の目立つ木造施設は解体、建て替え案が浮上していた。風船爆弾や偽造紙幣の開発などベールに包まれた旧日本陸軍の史実を掘り起こす貴重な戦争遺跡として全棟保存を求めてきた地元の市民グループは「与えられた時間を有効に使い保存への理解を広げていきたい」と話している。
国から同研究所の一部を購入し、一九五〇年にキャンパスを開設した明治大学(農学部)によると、木造の二施設のうち、五号棟は現在倉庫として使われ、二十六号棟は使用していない。同大では、老朽化に加え、増加する大学院生向けの研究室不足を補うため木造二棟を取り壊し、跡地に新たな研究棟を建てることにしていた。
取り壊しの時期を決める段階に差し掛かっていたが、研究室不足に対応するため、旧登戸研究所施設の三棟とは別の実験棟を大規模化する新たな建て替え案が浮上。その間、比較的保存状態が良い五号棟を改修し、新実験棟で使う予定の植物培養装置を設置して暫定的な実験室として使用することを決めた。「新しい実験棟の完成には少なくとも二年はかかる」(同農学部)という。
この方針を受け、同研究所を巡る見学会を開催したり、約一万人の署名を集めたりして、明大や市に研究所保存や移築を求めてきた「旧陸軍登戸研究所の保存を求める川崎市民の会」の森田忠正事務局長は「この二年が正念場。もっと多くの市民に関心を持ってもらえるように活動したい」と意気込む。
同会は今後、登戸研究所からわずか五百メートルの場所にあり、観光客が絶えない生田緑地とを結ぶ散策コースを設定し市民と一緒に歩くイベントを開催したり、将来的な遊歩道づくりを検討するシンポジウムなども企画し、地元住民や観光客の関心を高め保存への機運を一層高めたい考えだ。
同会代表の渡辺賢二・明大文学部講師は「登戸研究所を歴史的文化財として認識してもらい、保存を求める市民が増えれば新しい知恵が出てくる」と話している。
◆登戸研究所 1937年、東京都新宿区にあった陸軍化学研究所の実験場が登戸に移設された。地元住民ら約1000人が作業員として動員され、風船爆弾や中国の偽造紙幣、農作物に被害を与える枯れ葉剤や生物兵器などを秘密裏に開発。青酸カリなどの化学兵器を人体実験に使ったとも言われている。現存する3棟のうち、木造施設の5号棟は偽札倉庫、26号棟は紙幣の偽造工場、コンクリート造りの36号棟は化学兵器を製造していたとされる。