大阪府吹田市の
エキスポランドが民事再生とのことで、各社が報じています。
同社ホームページによると、昨年の絶叫マシンでの事故後、来客数が大幅減、休業を余儀なくされたことでファミリー向けの施設構成への改革を図ってきたが外部企業からの協力も得られず、営業再建には至らなかったとのこと。
直接の原因は、
帝国データバンクによると昨年の事故後の休園の長期化により資金繰りが悪化のようですが、同社によると入園者数の減少を絶叫マシンの投入で集客力の向上を図ってきた経緯があり、ジェットコースターで二度のトラブルがあったことが運営にとって致命的であったことが推測されます。
また、
読売新聞によると、ここ約10年のエキスポランドからの納付金は固定資産税相当額などのみだったとのことで、運営側の苦しい懐事情を伝えています。また、同社の記事によると、Jリーグのガンバ大阪がサッカー専用の新スタジアム建設を計画しており、万博記念機構と交渉を始めているとのこと。エキスポランドの再生は難しい様相を呈しており、このような再開発の可能性も高いでしょう。
大阪「輝きの象徴」38年で幕 エキスポランド民事再生法申請
MSN産経ニュース:2008.10.29
「人類の進歩と調和」をテーマに、大阪で昭和45年に開催された日本万国博覧会の遊園地として登場したエキスポランドは、高度経済成長後の大阪が最も輝いた時代を象徴する施設でもあった。
38年前、吹田市の千里丘陵に118のパビリオンが建ち並び、会期中は万博史上空前の6421万人が押し寄せた大阪万博。エキスポランド内にあったジェットコースター「ダイダラザウルス」は、最長1186メートルを時速65キロで走り抜ける「東洋一のコースター」と呼ばれ、月面着陸したアポロ11号が持ち帰ったアメリカ館の「月の石」に並ぶ人気を誇った。
当時は阪急電鉄が中心になってエキスポランドを運営。閉幕後には撤去される予定だったが、周辺住民や地元自治体の強い要望で存続が決まり、大阪万博の協力業者として参加した山田会長が運営を引き継ぐ形で昭和47年に開業した。
約20ヘクタールの広大な敷地に約40のアトラクションがあり、開業当初から関西を代表する遊園地として人気を集め、平成12年10月には累計来場者数が5000万人を突破。しかし少子化やレジャーの多様化で客足は離れ、コースター脱線事故の影響で休園中の今年5月には万博当初からあったダイダラザウルスも撤去された。
かつて輝かしい未来を提示した大阪万博。その面影も今やエキスポランドと北にそびえる太陽の塔だけになった。にぎやかったあのころの面影がまた一つ消えようとしている。
「大阪学」シリーズなどの著書がある大谷晃一・帝塚山学院大名誉教授は「大阪の老舗や有名店が次々閉店する中で寂しいニュース。大阪の斜陽の象徴がまた一つ加わった。万博でにぎわった日々から、過ぎた月日の長さを感じる。事故による客足減からの挽回を願っていたが残念だ」と話している。